支倉常明ヒストリー

支倉常明ヒストリー

経歴というほどのものもないのですが、せっかくなので、まとめてみます。

学生時代まで

まずは、生まれてから学生時代まで。

1981年年1月11日宮城県で生まれ、東京で育つ
1996年3月千代田区立麹町中学校を卒業
1996年4月都立三田高校に入学するも、あまりにもつまらなくて1年たたず中退
1997年4月国立東京工業高等専門学校へ入学
2000年3月またも中退(3年次まで在籍していたので高校卒業と同じ)
2000年4月東京工学院専門学校へ入学
2002年3月東京工学院専門学校を無事に卒業!

2度の中退

「2度も中退している!」というのを若いときは話のネタにしていましたが、今となっては「だから何?」という感じですね。でも、なんとなく卒業していくよりは、断然よい選択をしたと自負しています。

地下鉄サリン事件発生

通っていた中学校の最寄り駅が永田町駅だったのですが、まさに中学校に通っていた中学校2年だった1995年3月20日、永田町駅で地下鉄サリン事件が起きました。中学校の関係者に被害はありませんでしたが、最寄り駅で起きた事件はかなり衝撃でした。

高専のカリキュラムはすばらしかった

東京高専は、いま振り返るといい学校でした。「当たり前に、勉強をする」という雰囲気があり、今の仕事で使っている技術スキルのベースになっているのは、後に進学した専門学校よりは、圧倒的に高専での学びです。

当時は「古臭い技術でつまらない」と思って、3年次で中退してしまいましたが、5年まで通ってもよかったかもしれないな、と今になれば思います。中退したことにまったく後悔はないですが。

TKプロデュース全盛期

学生時代は、部活に打ち込んだとか、こういう趣味があったとか、バンドをやってましたとか、そういうことは特になく、漫然と過ごしていました。

当時の流行りものといえば、小室哲哉プロデュースの楽曲で、流行りに乗って好きでした。お台場で行われた何かのイベントに前夜から並びにいったのはいい思い出です。

あと、ネット検索しても全然情報がないのですが、日本初?世界初?で hitomi のライブをインターネットでリアルタイム配信するというイベントにいったのが、初ライブ体験でした。ハイパーメディアクリエイター高城剛が何か絡んでいたような。今から思えば、たぶんYouTubeの最低画質よりもさらに低いクオリティだったような気がします。

6年ぶりの卒業式

専門学校の卒業式は、中学校以来だったので、実に6年ぶりでした😅

就職、結婚、起業、離婚、NPO、再婚

続いて社会人になってから。

2002年3月株式会社カナックに入社
2002年11月結婚
2003年9月株式会社カナックを退社し、有限会社エクセンスを設立。
代表取締役就任。
2008年7月有限会社エクセンスから分離する形で株式会社エレファンキューブを設立。
代表取締役就任。
2013年3月離婚
2017年7月特定非営利活動法人Alazi Dream Project 理事就任
2018年9月再婚
2019年3月第一子誕生予定!

たった1年半で会社を設立

新卒で就職した会社の配属先が「eラーニング事業部」でしたが、若気の至りと様々なタイミングが合い、1年半しか務めていないのに、「独立してやっていけるんじゃないか!」と根拠のない自信と若気の至りで、会社の先輩と2人で会社を設立しました。

その後、会社組織を変えるために所属は変わっていますが、今後も一生続けていくであろう「eラーニング教材の制作」に出会えたことは非常にラッキーでした。

東日本大震災

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。私の両親の実家は津波被害の大きかった石巻市の出身です。幸い、親族で死者はいませんでしたが、両親が所有しているアパートの何棟かは津波にのまれました。

何度も足を運んでアパートの復旧や入居者への対応をしているのを目の当たりにし、私自身も震災の数ヶ月後に現地に行って、毎年のように行っていた土地の変わり果てた姿に、ショックを受けました。悲しいとか、悔しいとか、可哀そうとか、そういう既知の感情ではなく、ただただショッキングでした。

世界中で起こる自然災害について、どこか「遠くの出来事」だったのが、一気に「自分ごと」に落ちてきました。

NPO理事就任

いろいろな縁とタイミングがあり、特定非営利活動法人Alazi Dream Project(NPO法人アラジ)の理事を務めることになりました。その縁で、西アフリカ・シエラレオネ共和国にはこの記事執筆の時点で、2度足を運びました。

ちなみに、そのNPO法人アラジ代表理事の下里夢美と2018年9月に結婚しました。

第一子誕生(予定)

2019年3月に第一子👶誕生予定。
楽しみ😆😆😆